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3月24日の小さなサロン「トリスタンの生い立ちと騎士道」

去る3月24日13時からの小さなサロン~トリスタンとイズー、トリスタンの生い立ちと騎士道~の報告。


ゴットフリートの本とコンスタンス・B・ブシャード監修「騎士道百科図鑑」(悠書館発行)を手掛かりに、騎士としてのトリスタンが受けた教育と、教育によってどう育つのが当時の理想だったのか、実際行われていた教育はどのようであったのか、実際の騎士の在り方はどのようであったのかを読んだ。


トリスタンの出生は後日にかれの両親のロマンスをとりあげるときに追うので、今回は養父ルーアルに引き取られてからを読む。


7歳までは養母の手による「世話」を受け「ことば」「立ち居振る舞い」の基礎を得る。

7歳になると母の手から離されひとりの教師クルヴェナルに託されて、「外国語」を学ぶために「留学」する。同時に「書物」による学習が始まり、それをゴットフリートは「自由を失う」と表現する。
並行して「あらゆる弦楽器の弾奏」「盾と槍を持って騎行する」「手綱を用いず馬を操る」「撃剣・格闘・槍投げ」「疾走・跳躍」「狩り」「心映え・礼儀作法」を学習する

14歳になると自国に呼び戻され支配層としての教育を受ける。「領国の風習を知る」「徳行に心を向ける」そして「人々に愛される」

他に、チェスなどの遊びもたしなむことが書かれている。

物語は、このチェスをきっかけにトリスタンの運命が動き始める。

ノルウェーの商船がブルターニュに寄港し、珍しい物品を見に船に上がった少年トリスタンがノルウェー語を使い船員とチェスに興じ気の利いた会話をするので、商人たちは彼を誘拐して小姓としてどこかの宮廷なりに売ろうと考え、トリスタンを乗せたままそっと港を出る。
すると、(よくある展開だが)嵐がおこり遭難しそうになる。商人らはトリスタンの誘拐が神の怒りをかったと思い、彼を開放しようと誓うと嵐がおさまる。そこで最寄の陸地にトリスタンをおろして去る

トリスタンが降り立ったのは、コーンウォール、そこで彼はマルク王の狩場に出会い、ブルターニュのやり方で鹿をさばいて見せたところ、皆の感心と興味を集め、彼のハープ演奏と歌も称賛を得て、マルク王の宮廷に入る。
音楽の素養はじっさいに身を助ける
リチャード獅子心王は囚われの塔の中で夜な夜なハープを弾き歌ったところ、おかかえ詩人のブロンデルが居場所を探し当ててくれた。♪Ja nuls homs pris 

ここまでに、鹿をさばく際のトリスタンが「美しい髪を耳にかけ」たり、袖をまくったり、「白い指」でハープを奏で、美しい声で機知に富んだ表現を駆使して歌う、など、彼の美形ぶりを表すことばがくりかえされる(たまらん!)。彼がどれほど理想的な人物かを印象付け、「恋」にふさわしい人物であることを暗示する

何年かがたち、誘拐されたトリスタンを探して養父ルーアルがマルク王の宮廷にたどり着き、実はトリスタンはマルク王の甥だと明かす。

トリスタンはマルク王の後継者として「封」を受け、騎士のなるための「刀礼」を受ける。
この儀式の華麗な描写に、多くの行数がかけられて、それにちなみながらゴットフリートが先人のミンネジンガーたちをリスペクトする文章が続く。


甲冑と衣服が4つの要素から整えられる
①軒昂たる意気が欲求し、
②有り余る財宝が叶え、
③それらを「分別」が裁断して整え、
④宮廷風の志操が縫い合わせて装備・装飾を作る

それに「高貴な心映え」が備わる

ミサが行われキリストの戦士Miles Christiとなる祈りと誓いがなされ、剣、拍車、槍の装備が王から与えられる

それから、宴とトーナメントが延々と華やかに繰り広げられる。


騎士の心がけが列記されている

高貴の生まれ
謙虚
人を欺かない
誠実・誠意
礼儀正しい
弱気者に親切に、強き者には常に誇らかであれ
身を飾り
品位を高め
すべての貴婦人を敬愛せよ
物惜しみしない気前よさ

これらは黄金や黒テンの皮以上に「槍と盾」にふさわしい


このあとは、アイルランドの巨体の騎士モーロルトとの決闘、ドラゴン退治、と従来騎士道物語で扱われた「力」の話が続き、それぞれの戦いで受けた「重傷」を治してもらうべくトリスタンはアイルランドの王妃イズー(トリスタンと恋に落ちるイズーの母)のもとに「流れ着く」

2度目にアイルランドに向かう理由となったのは、マルク王が妃を迎えるべく候補にあがったのがアイルランドの王女イズーだった、ということだ

そこでドラゴンを退治して、イズーを連れてコーンウォールに帰る航海の途中で、誤って飲んだのが、例の「媚薬」。ここまででゴットフリートの本はちょうど半分だ。


現実的に、騎士というのは中世の「エリート戦士」
職業的戦士、社会的状態と政治的権力と法的階級区分に対応するもの、ライフスタイルを含む社会的地位であった。また、「理想」によって定義されうる存在で、それに対しての自己認識を持つ

騎士になる手続きは以下である


ページ  少年、小姓。見習い。食事の世話(サービス=テーブルクロスをかけ、フィンガーボールを出し、大皿のサーブをし、飲み物が空にならない気配りをする)、伝言係、衣服の着脱の手伝い、などをする
 ↓
スクワイヤー 槍持ち。甲冑の着脱の手伝い、剣の手入れ、馬の世話をして、ほぼ騎士とかわらない技術を得る
 ↓
叙任式


ただし、叙任式には莫大なお金がかかるので、一生スクワイヤーであることを望んだり余儀なくされたりする者も多かったという。これが後々、騎士という社会的存在が没落し消滅する原因のひとつとなる


騎士は「戦う人」である(聖職者は祈る人、農民は働く人)権力者(君主)に力を提供し、「封」として農民付き領地をもらう。
やがて君主自身も「騎士」の認識をもつようになる

力によって名誉を守り、戦闘での勇敢さが徳になる、しかし、それはキリスト教的には抑制すべき「暴力」である。すると、「暴力」を聖化する必要ができ、ちょうど都合よくそこに食い込むのが、「十字軍」だった。神様のために戦うならOK!というわけだ

マルカブリュの♪Pax in nomine Dominiは、十字軍キャンペーンソングだし、フォーゲルヴァイデの♪palastina liedはエルサレムに戦いに行くことを理想化した甘い誘いだ


さて、女性、貴婦人とのかかわりは、理想的には「服従」。膝
まづき言いつけを実行する(ランスロットのように)
愛情を押し付けない(ストーカーはダメ!とちゃんと教えているところは現代人も踏襲すべきではないか?)

若い騎士が主君の夫人を敬愛して、ふるまいや清潔の習慣をみにつけるということはあったにせよ、現実での社会制度の男性優位性とは逆転する

また、恋愛は結婚への手続きとはならず、むしろ結婚への反逆行為(結婚はたいてい親同士の取り決めによる)

「貴婦人」側にも問題がある(ほんとうに高貴なレディーではないことも)

トロバドゥールたちの恋愛の逸話はあるものの、物語のような恋愛がどこまでほんとうにあったのか、否、物語がこんなにウケるということは実際にはそれほど恋愛が盛んに行われたのではなかったのではないか、宮廷での振る舞いかたの様式が「恋」だったのではないか

そして、騎士階級と聖職者とは、じっさいには折り合わないことが多く、教会の不利益をはかる騎士もいた、という。
アルフォンソⅩの聖母マリアの頌歌集(カンティガ)48番♪Tanto sonda groriosaもそういう話だ。隣り合う騎士の館と修道院があり、修道士らの飲料水は騎士の敷地内の水源から汲んでいたが、ある時騎士が水に値段をつけた。貧しい修道士らは困りはて解決を祈ると、水が騎士の敷地から修道院へ流れてきた。

カンティガを、参加者のひとりにハープで一つのコードをくりかえしてもらってわたしはカスタネットをあやつりながら陽気に歌ってお開きとした

小さなお菓子は、中世の軍用食ビスケット。全粒粉と蜂蜜と玉子で練った種を薄焼きにした。
確かセルバンテスだったかが、航海のための食料集めの仕事をしていたのではなかったっけ?


4月28日はイズーの策略。恋の逢瀬のために、また、夫マルク王の前で、夫以外に抱かれたことはないと神に誓うために、彼女が仕掛けた策などをあげ、聡明さ、恋のために行う大胆な行為などを読みながら、中世の女性の生き様、また、女性の創作を調べてみようと思います。

ご参加、お待ちしています


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【 2017/04/07 21:08 】

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2月24日の小さなサロン「トリスタンとイズー~愛の洞窟」

去る2月24日金曜13時より、小さなサロン「トリスタンとイズー~愛の洞窟
「愛の洞窟」というテーマ名はゴットフリートの見出しに準じました。
ヴァレンタインズデーの月にちなんで二人の「愛」に最も焦点の当たるこの章をとりあげました。
物語のちょうど中盤、ふたりの関係をマルク王にみつけられイズーが処分を受けるその時に、トリスタンがイズーを「略奪」して逃げ込むのが、「森」、ゴットフリートではさらに森の中の「洞窟」に隠れこみます。

しかし、ここでの生活の描写は、「流布本系、ベルールの記述」と「騎士道本系、ゴットフリートの記述」では正反対といえるほど違います。

ベルールは、パンがなく獣の肉ばかり食べて、顔色が悪くなる。
王の追手にいつもおびえ、2夜と同じ場所では眠らない。互いに自分のせいで相手が(本来ならもっと安楽な身分で暮らせたものを)不自由な思いをしているのではと心配である。
と、いわば現実的に、想像に難くないところを描いています。

ゴットフリートは、空腹を感じない、それは互いの目のなかに栄養がある。愛する者たちのためにこそある美しい洞窟に居住を定める。互いに竪琴を弾き歌を歌い、小鳥が二人に仕え、自然の美の中に慰めを得る。
と、理想的な、夢のような暮らしを描いています。
そして、洞窟の描写を細かくし、青銅の扉、西洋杉の閂、象牙の閂、錫の取っ手、3つの小窓、などに英知、純潔などの意味を持たせ、愛の哲学を展開します。「女のそばに男がおり、男のそばに女が寄り添っていた」

また、この章の終盤には、マルク王に見つかってしまうのですが、そのときたまたま二人は、抜き身の刀を間にはさみ、衣服を付けて寝ていたがため、それは二人の関係は清いということになり、マルク王は二人をそのままにして、城に帰ります。

しかし、この時の王の心の動きも相違があると思います。

ベルールでは、王として社会的な体面、騎士としての行為(恥をかかない)にこだわって、ふたりをその場で断罪することをやめます。

ゴットフリートでは、イズー(の容姿の美)にぞっこんな男性としての心の葛藤を経て、イズーの美しさに手出しできずに引き返します。

しかも面白いことに、どちらの本でも、王はイズーの顔に日があたるのを防ぐべく、日光を遮断して去るのです。
イズーがどんなに白い肌なのか、それがどんなにたいせつなことだったのか。

王に見つかった後、
ベルールではトリスタンとイズーは大変に恐怖しますが、ちょうど、二人の恋のきっかけとなった媚薬の効き目が切れる時期にあたり、(恋心は残るものの)ふたりは冷静な心、宮廷人としての役割への義務感がよみがえり、王に謝罪して宮廷に帰ります。

ゴットフリートでは、畏れはあるものの二人の暮らしは永遠のようです。そこに王から、赦免と宮廷への帰還の要請・懇願があり、ふたりは王の心に感じ、名誉と神のために宮廷に帰ります。

こうして見た後で、私は、ベルールが描いたモロワの森はカトリックの倫理、宮廷での役割、関係、に適応しないふたりの関係が、宮廷やカトリック社会から逃避していった場所で、
ゴットフリートではそれが解放にまで昇華している、と思いました

彼らは再び宮廷に帰り、それでも関係を断ちがたく、終局に向かいます

森というものはとくに昔であれば、何がいても、何が出てもおかしくない、畏怖すべき場所、人間社会の理が効をなさない場所、異空間、そこを経ることで、自分に変化がもたらされ、またその間に社会も変化して、以前と違う状況になる場所、です。

森、で連想するのはシェイクスピアの戯曲です。
お気に召すまま
夏の夜の夢
リア王
マクベス  など
森を通ったり、そこに入り込んだりすることで、人は、あるいは森の住民も、示唆を受け変化を受け、解決を得るにしろ得ないにしろ前に進んで、出てくるのです。

また、森を舞台にしテーマにした文学は古代ローマの詩人ウェルギリウスの「牧歌」、または旧約聖書「雅歌」二編(私はシャロンの薔薇、谷の百合)にもさかのぼれます

全てを含んで、Locus Amoenus…魅力的な場所、だと結んでおきましょう。

演奏曲
Quant voi la flor novele トルヴェール 作者不詳
Douce Dame jolie Guillaume de Machaut 
Heart's ease (ロミオとジュリエット劇中音楽)作者不詳
It was the lover and his lass (お気に召すまま劇中歌)
                    Thomas Morley
Dehor loncpre el bosquel Jehan Erars 14c

小さなお菓子 プラムシャトル(シャトルは機織りの杼、人生に愛を織り込むという意味をこめた中世のお菓子)

参加者からまたいろんなお話がありました。

日本の「鎮守の森」もまた不思議空間だったり、生態系に必要なところでむやみに人の手で切り崩してはいけないですね。

筑波では平面で木のたくさん生えているところを「やま」と呼ぶ

古代、中世では畏怖の対象
シェイクスピア(ルネサンス)では異空間ながら、人間の(形成・成長の)ために用意されているようにも見える。
現代では、人間がいいように利用する、が、しっぺ返しもある。
人と森の関わり方の変化が興味深い

次回は3月24日13時、3月Marchは軍神マルスの月
トリスタンの生い立ちと騎士道、です。
ご参加おまちしています!


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【 2017/03/10 22:54 】

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1月27日の小さなサロン「トリスタンの嘆き」

1月27日13時、小さなサロン、テーマはトリスタンとイズー、1回目は「トリスタンの嘆き」。

ゴットフリートとトマの詩によってあらすじをお話しし、媚薬と、世に認められない関係と、ラストの黒い帆の件から所謂「愛の死」というポイントを押さえ、この物語が、それまでの騎士道物語(ロランの歌や、ベオウルフなど)とは一線を引くかのように、マッチョから「精美の愛」を中心にし、世の中の「名誉・信義・宗教的倫理」と個人的な「愛と誠実」の内面の苦悩が表現されて、個人が魅力的に描かれる、いわば当時の最先端であることを印象に残してもらいました。
もともと、アイルランド、スコットランド、ブルターニュ、コーンウォールをまたぐ物語で、いくつかのエピソードが個々にとりあげられて伝えられたり、媚薬というアイテムのとりあげかたもいくつかあり、複数の詩人がそれぞれにまとめたりしていて、本を5冊くらい並べ立てながら照らし合わせたり混乱したりしました。

結局、書いて残すことに長けていたのはやはりドイツ人だということなのか、ゴットフリートをベースにすることで整理ができて、彼が書かなかったラストをトマで継いでお話しすることに落ち着きました。

これは私の思惑とは真逆だった。

ゴットフリートはあまりに文学的に昇華してみごとすぎて、長い物語にしているので、プリミティブな芯のようなものを探し出したかったのですが、マリーのレー「すいかずら」では媚薬のエピソードに欠け、他の写本では「佯狂」の場しか描かれなかったり、トリスタンの物語とはどういうものかを見渡すことができませんでした。
それから、この物語はケルトおよびフランス語圏のものだと思っていたのが、ライン河を渡ったドイツ語圏に翻訳され、多大な影響をもたらしていたので、ミンネザングの資料を当たらなくてはならず、有名な「トリスタンの嘆き」のエスタンピーの部分にハインリヒ・フォン・フェルデケの詩を当てた録音を、我がアンサンブルの山田夕子さんからも示されていたので、郁文堂の「ドイツ中世叙事詩研究、相良守峯著」などを引っ張り出すことになりました。

サロンでは、媚薬飲用直後のトリスタンの戸惑いをゴットフリートの11741行〜11788行から(石川敬三・訳)朗読。
イズーを宮廷に返して「アルンデール」で白い手のイズーに出会い、結婚をするのが良いのか悩み逡巡する件をトマのスニード本1行〜182行(新倉俊一・訳)から朗読。
トリスタンに言及したトロバドゥール詩「私の心は喜びでいっぱい」ベルナット・デ・ヴェンタドルン(天沢退二郎・訳)朗読。
歌は、「トリスタンの嘆き」、「あなたの高貴な輝きは」15CTorino J.Ⅱ.9、「陽の光を浴びてひばりが」ベルナット・デ・ヴェンタドルン、「乙女の花」(作者不詳)、「愛が私を支配した」Chanson mariable La Roine Blance
参加者からの発言も活発だったのが嬉しかった。以下のような発言がありました
断片的に知っていたり、トリスタンという名前の語調の美しさの印象、あるいはワーグナーによる知名度でとらえていただけだったので物語として初めて納得した
騎士道物語って恋物語ばかりだと思ってた。(これには、ベオウルフなんかはほぼ「進撃の巨人」だとお答えして、ずいぶん驚かれました)
ひばりが飛んで、まっすぐに落ちてくるのを見たことがある、ほんとうに何かに身をゆだねるように、陶酔しているように見える
イズーって人間?(すごく勘の良いすばらしい質問です。これは4月にイズーについて根ほり葉ほりしようと思っています)
騎士道で大切にされたのは高貴な女性だけ?
ふつうの市井の女性の扱いは?(パストラルなどで貴族ではない女性との交渉が描かれてます・・・)
騎士道の恋は教養?セックスは?美形同士でないといけないのか?
トリスタンはイケメンだが、なにがイケメンの条件か?(3月にトリスタンの生い立ちでほじくりましょう)

来月2月24日は「愛の洞窟」です

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【 2017/01/29 20:53 】

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クラヴィシンバルムが来ました!

クラヴィシンバルムが来ました!

1300年代末の文献に残る、鍵盤付プサルテリウム。チェンバロの原型です。
古楽器復元、古楽の探究がなされて久しく、歴史的ハープ、リュート、ヴィオール属、クルムホルン、ゲムスホルン・・など耳にされる機会も珍しくなくなってきています。
(例えば、ゲームの世界では中世、古代神話をモチーフにして、BGMに古楽に準じた音楽を採用しています)

その中で、まだ復元の台数も知名度も小さいクラヴィシンバルムに、私は一目ぼれしました。

Youtubeで古楽演奏を聴いていて、めぐりあったのですが、即、釘づけでした。
ひざにもたせかけるサイズ、中世の響きに溶け込む鍵盤楽器、念願、理想の楽器!

調べていると、日本の埼玉でこれを作っているチェンバロ職人さん・久保田彰さんにたどり着きました。
さっそく連絡をしましたら、ちょうど関西に仕事できているから、とすぐにうちに来てくださり、文献から製作したという楽器を
「遊んでみてください」
と置いていってくださったのです!

確かにプサルテリを半分に切って、鍵盤をつけた形
チェンバロのように音を止める機構がなくて響きっぱなしの金属弦。

それは、中世のシンプルな旋律、ほぼ1つのコード(のようなもの)で伴奏が成立する歌には最良の響きです。
何より、鍵盤楽器が自分のツールという私は、ルネサンスはいいけれど、中世を演奏するにはチェンバロやヴァージナルでは似合わず、拙い技量でハープを弾いていましたが、鍵盤ならほんとに自由になれるのです。


さっそくに久保田さんに、「My楽器」を作ってください、とお願いしました。
そして、日本女性の私がかかえて電車に乗れる大きさ、軽さにしてほしいとお願いしました。

それは、久保田さんにしたら、1から計算・設計をすることになるのですが、こころよく受けてくださいました。

そうして、できあがって5月22日にうちに来たのが、私のクラヴィシンバルムです。

古楽器ですが、「最新型」。
久保田さんは、興味・研究として作った楽器を、実際の音楽を奏でるために注文してくれて、ほんとうに嬉しい、しかも、京都という町で初お目見えできるということが、とても素晴らしく感じるのです、とおっしゃっていました。

楽器の表には共鳴した音を放出する穴が複数ありますが、それが薔薇精巧な透かし彫りになっています。
響きとフォルム、どこをとっても美しい楽器だと思います。


5月29日にはさっそく、私の音楽室でちいさなサロンコンサートをします。
仲間のミュージシャンも来てくれて(北海道からも!)古楽器・古楽三昧の時間を持ちます。
その後、6月5日には大阪中津で、モダンピアノと一緒に、鍵盤楽器の歴史を辿るコンサートをします。
6月26日は、神戸で、関西のケルティックミュージシャンの集まるコンサートに出演し、古い時代のケルト由来の音楽を演奏したり、新しいケルトミュージックの演奏家たちとコラボします。
また、秋からは、第4金曜の昼下がりに、中世・ルネサンスヨーロッパの文学と音楽を読んだり奏でたりする集まりを企画しようと思っています。これも、クラヴィシンバルムがあるからこそ実現できる、念願の企画です!

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【 2016/05/27 20:25 】

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12月18日ライブ 星の草原  岡林立哉・近藤明子ライブ

最近の京都は雨が多いですね
みなさまいかがお過ごしでしょうか~


さて、12月のイベントがさらに増えました!
以下、詳細になりますので、ぜひご覧くださいませ♪♪


日時:2015年12月18日(金)  19時30分start

モンゴルの果てしない大地と悠久の星空、それは、中東、ヨーロッパへもたどり着く境界のない広がり。
平原の遊牧民と、砂漠の羊飼いは星に誘われ旅をする。ヨーロッパ最大の巡礼地のひとつは「星の草原」(コンポステラ=サンティアゴ・デ・コンポステラ)という名の町。

馬頭琴・ホーミーのたゆたう空間に、触れる機会の少ないモンゴル民話の朗読と、吟遊、巡礼の旋律が寄り添います
クリスマス前の一夜、まほろばの美味しい料理とお酒に暖まりながら、星の降る草原で遊んでください!


会場:居酒屋 まほろば  (開店時間は18:30)
    京都市左京区高野西開町15ニシキマンション1F(川端通り東鞍馬口北に上ル)TEL/075-712-4191

    京都バス「川端蓼倉橋」下車、京阪出町柳駅から川端通り沿いに北へ徒歩15分

料金:ライブチャージ前売り2000円(当日2500円)
ご予約・お問い合わせ;サリーガーデン・近藤 TEL/075-781-1301 


岡林立哉
名古屋市出身、高知県在住。日本で数少ないホーミー、馬頭琴の奏者。
1998年旅先のモンゴルで出会ったホーミーに衝撃を受け、以後繰り返しモンゴルを訪れホーミー・馬頭琴を習得。ヨーロッパ各国、南北米大陸を演奏しながらの旅を経て、2004年帰国。以後、毎年100ステージ以上のコンサート活動を続けている。
モンゴルでも珍しい昔ながらの皮張りの馬頭琴の素朴な音色、それにホーミーの神秘的な響きを身体で感じて下さい。


近藤明子

古楽アンサンブル・サリーガーデン代表、歌手。役者。桐朋学園大芸術科演劇専攻卒
 ミュージカル経験を経て、ブレヒト劇を中心に劇団活動(主演多数)をしながら、1996年より古楽アンサンブル・

エスタンピーに参加        
 2001年、古楽アンサンブル・サリーガーデンを立ち上げる。
  主なレパートリーは、中世・ルネサンス期の主にラテン系世俗曲(トロバドゥール、聖母頌歌など)。
 2014年西洋中世学会に招かれ、若手セミナーでカンティガの演奏を行なう
 2014年トラディショナルミュージシャンAkiとデュオ「Ruusu」結成。ケルト・北欧にも目を向けている。
【 2015/11/19 00:32 】

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