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5月26日の小さなサロン「トリスタンとイズー・恋する季節」

小さなサロン5月26日の報告です。

トリスタンとイズー・恋する季節


5月はヨーロッパの人々にとって春の訪れの季節、中世では恋の季節として、トルバドゥールの詩や、文学に現れてきます。
中世ヨーロッパの宮廷恋愛を軸に、恋愛とはどういうものであるか、近代ヨーロッパの文学や思想にそれがどのように継承されていくのか、考えてみたいと思います。


トリスタンとイズーの物語も、5月の宴がなかったら始まらなかったかもしれない。
トリスタンの両親、ブルターニュ(のパルメニエ)の美形騎士リヴァランとコーンウォールのマルク王の妹ブランシュフルールの出会いは
「いとも甘美なる5月がやってきてから終わるまでのかぐわしい4週間の間」ティンタジェル城近郊の沃野で催された祝宴であった。
このふたりなら、ふつうにつりあう身分と「美しさ」なのだが、4月にもとりあげたとおり、結婚話がしかるべき道筋で持ちあがるより先に自主的に恋愛するのは、恥ずかしいことで、現代の私達から見れば、リヴァランが求婚さえすればうまくいきそうに思うのだが、そうはいかず、ふたりはかけおち同然にリヴァランの故郷に行き、その後結婚の手続き(神の前での誓い)はしたものの、どうも社会的には納得されていなかったようで、後々ブルターニュの領主モルガーンがトリスタンを「私生児」呼ばわりする場面がある。


こうして始まる物語・トリスタンとイズーは西洋文学の恋愛もののはじまりとも言われる。


恋愛は12世紀の発明(シャルル・セニョボス)という見解がある、「発明」かどうかはまた考えたいが、恋愛という感情が、物語によって創造されたか、あるいは確認された時代、という見方には共感する。

中世ヨーロッパの宮廷文化を代表するもののひとつが、「Fin'amor 精美の愛」「L'amour courtois 宮廷風恋愛」。
恋する婦人のために騎士は奉仕し、人間力を磨く。un ars芸術・技術、une science知・学識、une virtu美徳を身につけなくてはならない。
恋は礼儀であり、教養で、それは結婚の前提条件ではない。むしろ、騎士は既婚の身分高い貴婦人に仕えるべきなのだ。

そして、貴婦人の恋愛は結婚後にするものなのだ

ロランの歌に描かれるシャルルマーニュの時代のような武力・暴力で領土を争った時代から下って、(まぁ、十字軍なんかはあったが)12世紀には権力の地図が落ち着き、男子の死亡する場面が減っただろうから、世襲争いを緩和するためにも、結婚を目的としないで(実りや成就を望まないで)忠誠の心を養う恋愛は共同体の安定に貢献したと思う。


ここで、恋愛はどのような思いであるか(あるとよいと思われたか)を描き出した文章として、マリ・ド・フランスのレーから「夜鳴き鶯」を読んだ。
それから、ゴットフリートのテキストから、「愛」とはどのようなものととらえているかを抜き出した。

愛の力は無限」「白く平らかな誠実
節操は常緑で堅固、ガラスのように清らか」「愛は水晶のように透明で清らか

トロバドゥール、トルヴェール、ミンネジンガー達は、自らも恋の心情を経験しながら詩を詠み、歌を作って恋愛を昇華させていったのだろう

また、恋の当事者の間の誠実と、社会的には不誠実(不倫)とみられることの混在に苦しむ佐奈を描いた物語を読むのは、さぞや興奮することだっただろう。


後半は、中世以前の古代の恋愛観や、ルネサンス~近代の恋愛小説、現代の「愛」の考察を表面的にだが、見てみる。

古代ギリシャや古代ローマの文学に現れる恋は、「狂った感情」である。ラテン語のfuror。

また、「indomitus 飼いならされていない」ものである。
特に女性の感情はそのようにとらえられる。
しかし、恋という感情についての見解は今の私たちと変わらないように思う。
「エロスは詩人を作る。たとえ以前は詩心のなかった者でも。エウリピデス」
「恋は涙のように目から発して胸に落ちる。プブリウス・シュルス」
「薬草でいやされる愛はない。オウィディウス」

ルネサンスになると、恋愛と人間性とのかかわりが変化してくるようだ。
それまでは、いわゆる高貴な人、美男美女、概念化された基準をもった美意識に則って、恋愛の対象が、または恋愛にふさわしい人物が選ばれる。
トルバドゥールが歌う愛は、宮廷風な振る舞いの原動力であるし、トルヴェールが詠んだのは、宮廷風資質を獲得したものが、自由と抑制の到達点として表す恋愛、ミンネジンガーは、現実にあるよりも観念的で理想的な愛を歌った、という説明をみたことがある。(出典を思い出して引っ張り出す努力をします。今は出典不明でごめんなさい)。
それがルネサンスにいたると、恋愛をする者も対象となる人物も、より個人的になって、個人特有の魅力や個人の感じ方、美意識によって心が動いていく。
シェイクスピアのソネット130番では、それまでの美の基準にはずれた女性を、賞賛してるんだかディスってるんだかわからない描写をして、「自分には彼女が最高なんだ」という。
人物がより現実的になる。

ゲーテになると、恋愛の経験は人格を向上させることになる。個人の生き様の交差、結合、離別をしながら人生が深まるのだ。
ヘルマンとドロテーア」を例にあげた。

個性的な個人としての結びつきが前面に出てくるようになって、恋愛は結婚の前提、条件として認められてくる。

とてもおおざっぱだが、E・フロムの有名な「愛するということ」まで紹介しようと思う。
中世の教養、礼儀作法、美は、身につけることで「愛される」にふさわしいものとなる要素だった。

特に女性には。
フロムは言う。「愛するということを、技術として人生の経験の中でつみかさね、習熟していくべき」

最後に、中世文学の中で、恋愛が結婚を成就させた物語を紹介したい。
オーカッサンとニコレット。身分違いという障害に挑んで、結局は身分が低いと思われたニコレットが実はお姫様だったとわかってめでたし、なのだが、
恋を貫くために、ふたりともが冒険をする。女性のニコレットも男装して吟遊詩人になりすまして遍歴をする(シェイクスピアも男装のお嬢様をよく使うが)。
明るいリズムを持った作品である。


★演奏曲目
 Kalenda maya 5月1日  Raymbaut de vaquieiras
 Ce fut en Mai それは5月 Moniot d'Arras
 Rosa das rosas Cantigas de Santa Mariaより
 恋人よ、薔薇を見に行こう P,Ronsard詩 J,Chardavoine曲

★朗読
 五月に日の長くなるころ ジャウフレ・リュデル・デ・ブライア
 五月の歌 ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ
 ソネット130 シェイクスピア
 ソネット106 シェイクスピア
 
★小さなお菓子
 カリソン トルバドゥールの活躍した南仏プロヴァンスの伝承菓子。15世紀プロヴァンス王ルネの結婚を祝って作られたという言い伝えがある。
結婚相手のジャンヌ妃が、それまでにこりともしなかったのに、カリソンを食べて微笑んだ、という。


次回は6月23日、ミッドサマーナイトのあたりなので、「恋の媚薬と中世の魔法、薬の切れ目は恋の切れ目?」というテーマで
イズー母子の作る治療薬や物語のキーとなる媚薬について中世の民間薬はハーブのお話しをしたいとおもいます。
また、媚薬には効力の期限が設定されている伝承があり、ふたりの恋は単に薬によるものか、いやいや、思いがあったのを薬によって(酔って)告白できたのだ、という
諸説を生んでいます。そこらへんをつついてみようと思います。

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【 2017/06/07 23:48 】

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