スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【 --/--/-- --:-- 】

スポンサー広告  |

2月24日の小さなサロン「トリスタンとイズー~愛の洞窟」

去る2月24日金曜13時より、小さなサロン「トリスタンとイズー~愛の洞窟
「愛の洞窟」というテーマ名はゴットフリートの見出しに準じました。
ヴァレンタインズデーの月にちなんで二人の「愛」に最も焦点の当たるこの章をとりあげました。
物語のちょうど中盤、ふたりの関係をマルク王にみつけられイズーが処分を受けるその時に、トリスタンがイズーを「略奪」して逃げ込むのが、「森」、ゴットフリートではさらに森の中の「洞窟」に隠れこみます。

しかし、ここでの生活の描写は、「流布本系、ベルールの記述」と「騎士道本系、ゴットフリートの記述」では正反対といえるほど違います。

ベルールは、パンがなく獣の肉ばかり食べて、顔色が悪くなる。
王の追手にいつもおびえ、2夜と同じ場所では眠らない。互いに自分のせいで相手が(本来ならもっと安楽な身分で暮らせたものを)不自由な思いをしているのではと心配である。
と、いわば現実的に、想像に難くないところを描いています。

ゴットフリートは、空腹を感じない、それは互いの目のなかに栄養がある。愛する者たちのためにこそある美しい洞窟に居住を定める。互いに竪琴を弾き歌を歌い、小鳥が二人に仕え、自然の美の中に慰めを得る。
と、理想的な、夢のような暮らしを描いています。
そして、洞窟の描写を細かくし、青銅の扉、西洋杉の閂、象牙の閂、錫の取っ手、3つの小窓、などに英知、純潔などの意味を持たせ、愛の哲学を展開します。「女のそばに男がおり、男のそばに女が寄り添っていた」

また、この章の終盤には、マルク王に見つかってしまうのですが、そのときたまたま二人は、抜き身の刀を間にはさみ、衣服を付けて寝ていたがため、それは二人の関係は清いということになり、マルク王は二人をそのままにして、城に帰ります。

しかし、この時の王の心の動きも相違があると思います。

ベルールでは、王として社会的な体面、騎士としての行為(恥をかかない)にこだわって、ふたりをその場で断罪することをやめます。

ゴットフリートでは、イズー(の容姿の美)にぞっこんな男性としての心の葛藤を経て、イズーの美しさに手出しできずに引き返します。

しかも面白いことに、どちらの本でも、王はイズーの顔に日があたるのを防ぐべく、日光を遮断して去るのです。
イズーがどんなに白い肌なのか、それがどんなにたいせつなことだったのか。

王に見つかった後、
ベルールではトリスタンとイズーは大変に恐怖しますが、ちょうど、二人の恋のきっかけとなった媚薬の効き目が切れる時期にあたり、(恋心は残るものの)ふたりは冷静な心、宮廷人としての役割への義務感がよみがえり、王に謝罪して宮廷に帰ります。

ゴットフリートでは、畏れはあるものの二人の暮らしは永遠のようです。そこに王から、赦免と宮廷への帰還の要請・懇願があり、ふたりは王の心に感じ、名誉と神のために宮廷に帰ります。

こうして見た後で、私は、ベルールが描いたモロワの森はカトリックの倫理、宮廷での役割、関係、に適応しないふたりの関係が、宮廷やカトリック社会から逃避していった場所で、
ゴットフリートではそれが解放にまで昇華している、と思いました

彼らは再び宮廷に帰り、それでも関係を断ちがたく、終局に向かいます

森というものはとくに昔であれば、何がいても、何が出てもおかしくない、畏怖すべき場所、人間社会の理が効をなさない場所、異空間、そこを経ることで、自分に変化がもたらされ、またその間に社会も変化して、以前と違う状況になる場所、です。

森、で連想するのはシェイクスピアの戯曲です。
お気に召すまま
夏の夜の夢
リア王
マクベス  など
森を通ったり、そこに入り込んだりすることで、人は、あるいは森の住民も、示唆を受け変化を受け、解決を得るにしろ得ないにしろ前に進んで、出てくるのです。

また、森を舞台にしテーマにした文学は古代ローマの詩人ウェルギリウスの「牧歌」、または旧約聖書「雅歌」二編(私はシャロンの薔薇、谷の百合)にもさかのぼれます

全てを含んで、Locus Amoenus…魅力的な場所、だと結んでおきましょう。

演奏曲
Quant voi la flor novele トルヴェール 作者不詳
Douce Dame jolie Guillaume de Machaut 
Heart's ease (ロミオとジュリエット劇中音楽)作者不詳
It was the lover and his lass (お気に召すまま劇中歌)
                    Thomas Morley
Dehor loncpre el bosquel Jehan Erars 14c

小さなお菓子 プラムシャトル(シャトルは機織りの杼、人生に愛を織り込むという意味をこめた中世のお菓子)

参加者からまたいろんなお話がありました。

日本の「鎮守の森」もまた不思議空間だったり、生態系に必要なところでむやみに人の手で切り崩してはいけないですね。

筑波では平面で木のたくさん生えているところを「やま」と呼ぶ

古代、中世では畏怖の対象
シェイクスピア(ルネサンス)では異空間ながら、人間の(形成・成長の)ために用意されているようにも見える。
現代では、人間がいいように利用する、が、しっぺ返しもある。
人と森の関わり方の変化が興味深い

次回は3月24日13時、3月Marchは軍神マルスの月
トリスタンの生い立ちと騎士道、です。
ご参加おまちしています!


0224.jpg 

スポンサーサイト
【 2017/03/10 22:54 】

未分類  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
 | ホーム | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。