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イタリア

 フィレンツェ3日、ヴェネツィア3日のフリーな旅行に行ってきました。建物、景色、美術、文化、の美しさ、素晴らしさ、なつかしさ(!)は言うまでもなく、路地裏の猫、定時に観光地に出勤する鳩、日本のとはあきらかに種が違う精悍な雀、レースの島の天然な犬までが心に残りました。
 フィレンツェのサン.マルコ美術館2階 もと図書室に展示されていたグレゴリオ聖歌のうつくしい写本、しかも10余冊一挙に並べてあったのにはドキドキしました!
 中世の大商人の邸跡を資料館にしていた所はちょうど女性の生活空間を公開していましたが、寝室に置かれた聖母マリアの絵の下に家族の無事と繁栄を祈る文章が刻まれ、洗い湯を使う小さな部屋の壁は赤いポンポン菊の模様がまるで今の壁紙のように書きこまれ、仕事部屋には代々の当主夫人が使った紬車やレース編みの道具が置かれ、緻密で溜め息ものの繊細なトスカーナのレースが飾ってありました。
 有名なポンテ・ヴェッキオは四条河原町状態でしたが、橋を渡って南岸は落ち着いた古い町です。狭い入口からすかして見える中庭が明るくて花や木が整えられているお家、職人の看板がみえる細い道、観光地図にはないけれど魅かれて入った教会のゆるやかにまあるい白い天井、華やかな色のルネサンス期のマリア様。
 ヴェネツィアのおすすめはブラーノ島。本島からヴァポレット(水上バス)で30分くらいだったかな。漁師の島、お家は船用塗料で、ピンク、青、レモン色、紫、明るい緑などに塗られ、戸口は解放され明るい色のカーテンがかかり、窓という窓に花が飾られています。ほんとにきれいな島!ここの女性はレースを縫い、それが特産品。でも、年配のマンマが生産の中心というのは何処も同じです。アドリア海の見晴らせる草地の公園もあるし、ゆっくり過ごせる楽園です。
 食べるものはみんな気に入りました。主食のパンははっきり言って日本のがおいしいです。パニーニの生ハム、トマト、レタスサンド、ロールサンド、毎日食べました。ピッツァは一人前でも直径30cmだからご用心です。
 小魚やイカの揚げ物もオリーヴ油のせいか軽くてもたれないのが嬉しかったです。豆のスープ、野菜のグリル、ゴルゴンゾーラソースのペンネ、みんな記憶してきたからね!
 外食ばかりでは資金がもたないので、スーパーで食材買って、ポッカレモン的レモンジュースとオリーヴ油と、機内食から取っておいた塩、胡椒、砂糖をまぜてドレッシングを作って「自炊」もしました。
 カッフェはフィレンツェのカジュアルな宿の朝食で出されたのが一番おいしかったです。食堂に行くと、あいそのよくないおばちゃんが「あんたはそこ」と席をゆびさして、お皿とカトラリーとコーヒーカップを「支給」してくれます。あとは自分で食べたいものを取りにいくのだけれど、おばちゃん手ずから淹れるカッフェは朝の体にやさしいコックリした味わいでした。だから毎朝、おいしい、おいしい、って言って食堂を出ていました。3日目の朝に「これからヴェネツィアにいくの。」と言ったらカウンター越しに両手握って「いい旅してね」って顔いっぱい笑ってくれました。忘れない。
 サン・マルコ美術館近くのピッツァリアのおばちゃんは釣銭をごまかしました。50セント足りない、あなたは返してない、てまくしたてたら、「落ちたのかしら」みたいなわざとらしいジェスチャーをするから「ないよ」と言ったら、にんまり笑って50セント硬貨を渡してきた。にっこり笑って受け取ったらもひとつ笑顔をかえしてきました。お互いおばちゃんやね、ということか。なんか楽しかったやりとりでした。
 歩きたばこをしている人をけっこうひんぱんに見ました。でも、はっと気付いたことがあります。みな、すれ違いそうになるとたばこを持った手を自分の体のまえに引き寄せて火の点いた面を上につまり自分の顔の方に向けるのです。たばこを持った手をぶらぶら振って、人に火を向けても気づいていないような態度はなかったようにおもいます。自分が何をしているかを知っていて、他人がいることに気づき、相手を認めて、関係を認識し、相手の存在を尊重しながら、自分がどうすべきか、がわかっているようにみえました。少なくとも、「私が、あなたの目の前にいる」ことをちゃんとわかってくれているな、という感覚が嬉しいし、マナーとしても成熟しているな、とおもいました。
 お話は尽きないけれど今日の最後に。日本出発直前にぎっくり腰をやった連れがフィレンツェの石畳でさらにがたがたになり、とある教会(これまた観光地図にない)で呻いていたら、そこの神父様が、痛み止めをくださって休ませてくださいました。私はゆっくり腰を下せそうなカフェを探しに出ていたので連れと神父様のやりとりはあとから聞いたのですが、英語は全く通じないということでした。
 次の朝、一緒にお礼を言いにその教会に行きましたが、ほんとに付け焼刃でイタリア語を仕込み、ありがとう、を伝えようとしました。私は古楽を歌うためにラテン語をならっていますが、このときほど、実用性を感じたことはありません。イタリア語はラテン語の娘といわれる所以。もちろん向こうは超ゆっくり話してくれるし、内容も限られているのですが、かなりわかったし、私たちを祝福してくださることばは、歌の歌詞と似ているから察しがつくのですが、コミュニケーションすることがこんなにうれしかったことはありません。神父様と話している間、まったく不自由さというものを感じなかったのです。もちろん、何より、通じ合いたい、伝えあいたい、という気持ちがことばをバックアップしていたのでしょうね。
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【 2010/09/09 00:07 】

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