8月25日の小さなサロン「トリスタンとイズー~伝説の辿る道」

トリスタン物語は初めから変わらない物語があるのではなく、芯になる物語に様々な物語の要素や時代の思考、まとめて作品にした詩人たちの思いが加えられて、中世恋愛物語の、あるいは
西洋恋愛文学のバイブルになっていったし、ワーグナーはもっとも有名なところだが、近現代にも映画や演劇、絵画の主題となって書かれ続けている。

 トリスタン物語の来し方を辿ってみたいと思った

 トリスタン伝説の生成を見るために2つの切り口を考えた

a.物語のルーツと変遷

b.物語のモチーフの源

aについて
 石川敬三訳のゴットフリート・フォン・シュトラースブルグによる「トリスタンとイゾルデ」(郁文堂)の巻末解説によると、トリスタン物語の成立には、フリードリヒ・ランケが提唱する
 3つの段階があり、3つの部分に分けることができる。
 
 ⓵ケルトの伝説(ピクト人の伝説)。モーロルトとの決闘~モロワの森での逃亡生活
  第1の段階である。
  コーンウォールのマルケ王の甥トリスタンはすべての騎士に勝る美と力と勇敢さと技を持っている。遠い未知の地からきてコーンウォールを震撼とさせた巨人モーロルトとの決闘に勝利
  するが、毒槍に傷つけられ、治らないと覚悟し剣と竪琴とともに小舟で大海に出て死を待つが、小舟はモーロルトの妹である仙女の島にトリスタンを運ぶ。仙女は兄の仇であるにもかかわらず
  トリスタンを治療し、情をかける、が、彼は傷が癒えるとコーンウォールに帰ってしまう。
  ある日、マルケ王の宮廷で行われた騎士の試合を見物していた王妃イゾルデがトリスタンを見染め、自分を連れて逃げるように要請するが、トリスタンはそんな不忠な行為には応じない。
  するとイゾルデが彼の名誉にかかわるような嘲りを言ったので、かれは仕方なくイゾルデを連れて森に入る、が、決して彼女の体には触れない。寝るときは必ず抜き身の剣を二人の間に置いて
  寝る。
  ある早朝、マルケ王がふたりを見つけるが、その有様をみて、起こさずに、自分とトリスタンの剣を取り換えて立ち去る。それに気づいたトリスタンは宮廷に帰ろうとするが、そんな彼を
  イゾルデは男らしくないと嘲笑する。
  ある時、川を渡ろうとしたイゾルデの太ももに水しぶきがかかると、イゾルデは、トリスタンよりも水のほうが大胆だ、と挑発し、トリスタンは男としての名誉を守るためマルケ王への忠誠を 
  忘れた(イゾルデを抱いた)
  その後、マルケ王はふたりの探索を続け、隠れ家を発見して、決闘に至り、トリスタンは致命傷を受ける。そして、最後の別れをするかのようにイゾルデを呼び、彼女がわかれの口づけをしようと
  トリスタンに身をかがめたとき、彼は彼女の体に腕をまわして、抱いて絞殺した

  ここでは、女性の愛は騎士の美徳を彼から奪う敵対力である。愛とは肉体的欲望の衝動的な力のことで、精神を高めることや美徳には結びつかない
  
 、島の仙女や船行、森への駆け落ち、というモチーフはケルト伝承の「人気の」ジャンルであったらしい。
  
 ⓶叙事詩
  ⓵の物語を統一体として叙事詩的なまとまりに結び合わせ、①ではバラバラな感のある前半部と後半部を必然的なつながりのあるものとした。そこで登場するのが「媚薬」である。
  この、叙事詩になった最初と思われる文章は保存されていないが、流布本系のトリスタン詩を著したベルール(12世紀)の記述からそういう「ものの本」があると推測され、その物語の輪郭
  もうかがえる。
  
  ここではモーロルトはアイルランドの騎士になっている。島の仙女はイズー(イゾルデ)と一体化し、トリスタンの傷をいやした後、マルク(マルケ)王の妃となる。そのためにトリスタンが
  竜退治をしてイズーを獲得する物語が加わる。
  
  そして、トリスタンはイズーにとっては身内の仇であるのに、「愛し合う」。この段階では、衝動的な女の性欲というものを猥褻だととらえる時代や作者の感覚に沿って、新しく「愛し合う」
  というテーマがあらわれ、各モチーフはそれを支えるものに変化する。例えば、トリスタンとからだで結ばれたイズーの身代わりに侍女ブランガンがマルク王との初夜の床に入る話がそうである。
  ここでふたりの胸の中に愛を持ち込むために「媚薬」が必要となり、以後、トリスタン物語の最重要素材となる。

  この段階でも、結末はマルク王によって二人は打たれたと推測されている。しかし、今度は、イズーはよろこんで、トリスタンと一緒に死んでいったと思われる。

 ③モロワの森の逃亡生活から後の物語が加わる
  森の逃亡生活の果てにマルク王の手にかかって死ぬのではなく、宮廷に戻って、離れ離れになった二人の苦しみが描かれ、ふたりの再会が二人の死であるという結末に変化する。
  この段階での特徴は、第2のイズーである「白い手のイズー」の登場である。

  森の逃亡生活から宮廷に戻ったイズーと、社会復帰はしたが、コーンウォールからは追放されたトリスタンは、体は離れ離れになっても心は寄り添い、一つであるという「誠実」が物語の中心
  となる。
  
  トリスタンは追放されて、アーサー王の宮廷に加わるという展開もあり、アーサー王物語圏へのすり寄りがある。

  また、ひそかにイズーのもとに逢引きに来る話や気持ちの行き違いによる恋の危機や、トリスタンがブルターニュで白い手のイズーと結婚する話が加わる。
  そして、白い手のイズーの兄でありトリスタンの親友カエルダンがその恋人の夫と争った戦いで、トリスタンは毒槍に倒れ、恋人イズーなら治療ができるからとイズーを呼びに人を送る。
 、迎えの船にイズーを乗せて帰ってくることができたら白い帆を、同行がかなわなかったら黒い帆をかかげてほしい、と要請する。
  船は白い帆をかかげて帰るが、白い手のイズーはイズーに嫉妬して、また、自分と結婚しながらイズーを思い続ける夫を恨んで、帆は黒いと、トリスタンに告げる。トリスタンは絶望して
  息絶える。その後にイズーが到着し、トリスタンに口づけをしてこときれる

  こうしてトリスタン物語は完結する。

  さらに、トリスタンの両親の恋物語も加わり、トリスタンの出自からの、運命というものを感じさせる導入となっている

  この段階では、宮廷文化と騎士道を描きながら、そこからはみ出た恋愛を印象付け、葛藤を追う。

 以上の物語が出そろって韻文としてかかれたのは、おそらく1150年頃のポワチエ伯の宮廷ではなかったかと推測されいている。

 この後、物語はおおまかに2つの系統に分類される形で、それぞれの詩人が語っていく

 ⓵騎士道本系  トマ、ゴットフリート・フォン・シュトラースブルグ 古ノルウェー語によるトリストラム・サーガ(修道僧ロベールによる)
   トマは後半部分しか残存していないが、ゴットフリートが何度か、自分はトマの語りに準じていると書いている。
   ゴットフリートの文章も、未完で終わっているがちょうどその部分はトマの文章で残っている
   心理描写、モノローグが多く取り入れられ、おとぎ話的な、飛躍的な展開の要素を変更して、因果関係(モチーフのつながりを理詰めで説明できる)の中におさめようとしている。
   宮廷人の鑑賞を意識して、無駄であったり、下品・下世話な描写は避ける。(例えば、最後の場面で、イズーが白い手のイズーに「おどきなさい、私のほうがあなたよりずっと
   この方を愛しています」と言う件があるが、トマはイズーに一言も言わせていない。)
   逃亡先の森(ゴットフリートでは洞窟)での生活を愛の純粋さと崇高さによって至上の幸福と美を表した生活であるように描く。
   精神の高まりの美しさを重要なこととし、芸術的である
   
   この物語の「愛」は受け入れると宮廷社会から逸脱して不名誉な「死」となることを理解したうえで、トリスタンたちがこれを受け入れたことを書いている。そのことによって
   媚薬は愛そのものの象徴となり、やがてワーグナーにも至る

   しかし、ゴットフリートの文章については、14、5世紀にはあまり顧みられず、18世紀になってから掘り起こされることになる

 ⓶流布本系  ベルール アイルハルト 
   いずれも不完全な、部分的な残存しかないが、13世紀に成立したフランス語散文物語や15世紀に流布したドイツ民衆本へつながる
   それまでの物語の編集で、それぞれの挿話を良い流れでつないでいる。シンプルで粗削りで、筋がわかりやすい
   時代の社会の規範に衝突しない(受け入れられやすい)。恋愛は媚薬のせいだからトリスタンたちは罪をおかしたのではない。媚薬は魔法であり運命である
   アーサー王物語に密着
   ドイツ民衆本から、ハンス・ザックスによる6つのマイスタージンガーの歌や戯曲化といった二次創作がなされる
   
   
 流布本系は大衆化する。14,5世紀の社会状況(印刷技術、市民の台頭、社会の安定)によって面白い物語として人気を博し、多くの言語に訳される。

 愛のテーマ、文学性、芸術性は後退し、キャラクターの能力、武器、容姿の描写(ビジュアル)、物語のどきどきする展開が興味をかきたてる。
 その流れが現代に行き着いたところのひとつが、ゲームやアニメーションに採用されている古代、中世の物語ではないか
 ジャック・ルゴフの「中世の夢」より、現代人についての所見を引用する。
 「われわれの方とはいえば、あまりにもしばしばもはや創造的想像力ではなく、不合理な妄想に属するものの中で、SFと黙示録を混同するのをためらわないのである」
 (でも、私はこういうの、嫌いではない)

 
bについて
 トリスタン物語に見える、挿話とその類似した物語の代表的なものを私のわかる範囲で挙げた。

 ★モーロルトとの決闘= 巨人伝説、ダビデとゴリアテ、敦盛と熊谷直実、巌流島  
   巨人伝説はどの神話、伝説にも現れる。ネフィリム(旧約聖書)、キュクロプス、ティターン族、霜の巨人ユミル(北欧神話)、ケンバーカルナ(ラーマーヤナ)、などなど

 ★竜退治= 聖ゲオルギウス、シグルト(ジークフリート)、イアソン(ギリシャ神話)、ペルセウス(ギリシャ神話)
 ★アイルランド王妃イズー= 治療をする女性=パリスとオイノーネー
 ★妖精の恋人= タンホイザー、ランヴァル、
 ★マルク王の耳= ミダス王、
 ★媚薬= アダムとエバ
 ★恋人の救助に間に合わない= パリスとオイノーネー

 特にギリシャ神話のテーセウスとは共通点がいくつもある。
 ★モーロルトがコーンウォールに要請した貢物=ミノタウロスがアテネに課した貢物
 ★竜退治により得たイズーとトリスタン自身は結婚しない=ミノタウロス退治で得たアリアドネとテーセウスは結婚しない
 ★出生に物語がある
 ★船の黒い帆・白い帆の約束

朗読:ゴットフリート・フォン・シュトラースブルグの「トリスタンとイゾルデ」石川敬三訳 解説から352~353ページ、360ページ

   「すいかずら」 マリ・ド・フランスのレー、新倉俊一・訳 白水社 フランス中世文学集1
   「ランヴァル」 マリー・ド・フランスのレー、月村辰雄・訳 岩波書店 十二の恋の物語
   

演奏曲:アルフォンソⅩ賢王のCantigas de Santa Mariaより 「プロロゴ」、「No.1今より私は歌いたい」
    ハンス・ザックス 「銀の調べ」
    「Fairy Queen」 アイルランド民謡
    作者不詳、詩・ハインリヒ・フォン・フェルデケ 「トリスタンの嘆き」

小さなお菓子:ラマスの日のパン(ジャムを巻き込んだロールパン)

ありがとうございました。 

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【 2017/10/08 22:47 】

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7月28日の小さなサロン「航海」

トリスタン物語に何度も出てくる「航海」の場面、海を渡ることで展開する物語。
航海や海というものが、私たちがすぐに思いつく「人生」「苦難」「成長」というような象徴だけではなく、中世の人々にどのような存在であったか、とらえたいと思った。
航海の描写が多く、詳しいゴットフリートの本を芯に読む。
トリスタンとイズーが渡った海域
 英仏海峡、視界が良くない、曇、霧が多い。一番広いところ約180km(京都~名古屋が約150km)、フェリーで6時間くらいか。
 アイリッシュ海、大陸棚の一部で比較的浅い。干満差が大きい、波が高い、潮流が激しい。メキシコ湾流のおかげで気候は温暖
航海、番外a=リヴァランとブランシュフルール(トリスタンの両親)の駆け落ち
 英仏海峡。コーンウォール⇒ブルターニュ。ゴットフリートには航海自体の記述がない。ドイツ民衆本では、懐妊して間もないブランシュフルールが臨月になるまでかかっており、彼女は船上で出産し、果てる。
 海の荒々しさが印象付けられる


航海①=誘拐
 ノルウェー商船(おそらく遠洋向きの横帆式北方船)で誘拐された少年トリスタン。ブルターニュ⇒?⇒コーンウォール。
 出航後8日8晩の嵐に遭い、誘拐という悪事に対する神の報いだと恐れたノルウェー人から、漕ぎ手のある小舟にのせられてひとり「解放」されたトリスタンは「神の御心」によって、母・ブランシュフルール(
 そのことを、この時点ではトリスタンは知らされていない)の故郷にたどり着き、マルク王に士官する。
航海、番外b=ルーアルの探索
 トリスタンの養父ルーアルは」トリスタンを探して旅に出る。3年半かけて4年目にコーンウォールにたどり着き、トリスタンと再会。トリスタンの素性がマルク王の前で明かされる。
 ブルターニュ⇒ノルウェー⇒アイルランド⇒デンマーク⇒イングランド⇒コーンウォール。メキシコ湾流に乗ったのか。

航海②=モーロルトとの決闘
 トリスタンは、アイリッシュ海に浮かぶ小島であろう、「岸から見える」くらいの島での一騎打ちに櫂で漕ぐ小舟ででかける。
 アイルランドの巨体の騎士モーロルトとコーンウォールの立場をめぐって戦い勝利する。コーンウォールに安心をもたらし、トリスタンの名声が上がる。
 トリスタンはモーロルトの剣に塗られた毒によって、不治の怪我を負う

航海③=タントリス
 コーンウォール⇒アイルランド
 トリスタンの傷口は悪臭を放ち、手が施せない。民衆本では、海に出て死ぬことを前提に神の御心に命をゆだねてひとりで櫂もない小舟で竪琴だけを持って旅立つ。
 ゴットフリートの本では死に際のモーロルトの言葉によってアイルランド王妃イズー(モーロルトの妹、トリスタンの恋人イズーの母でトリスタンの恋人と同名)のみが
 解毒と治療をすることができると聞いていて、活路を開く意図で旅立つ。ここでは、飲み物、食べ物、必需品をどっさり積んで、8人の従者と教師であり腹心の友クルヴェナルを伴い、
 竪琴と剣を持っている。おそらくふさわしい大きさの帆船を利用している。
 民衆本では7日7晩、御心のまま漂い、竪琴をひいているのを、アイルランドの漁師に発見され、その竪琴の演奏の見事さが評判となってアイルランドの王宮に連れていかれる。
 ここでは、未知の異界が海の中にあり、命の果てに行き着くところがそこにあるというケルト的な世界観が提示され、それを「御心」というキリスト教の思想が「力」で切り開いていく
 プロセスが見えるように思った。
 ゴットフリートでは「合理的」で現実的な手段が描写される。トリスタンはダブリン沖で小舟に乗り換え漂っているとやはり漁師に発見される。
 そしてアイルランドの王宮に連れ込まれたトリスタンは素性を隠し、タントリスと名乗って、王妃の治療を受け回復する。その間に未来の恋人イズー姫と顔を合わせる

航海③付属=帰還
 アイルランド⇒イングランド経由でコーンウォール
 アイルランドでの治療が終わってトリスタンはコーンウォールへ帰る。
 近代のトリスタン研究者ペディエのまとめた物語では40日の治療の後、美しさがよみがえってきたので素性がばれないうちに帰る。数々の危険をおかしてある日マルク王の前に現れる。
 これはとても美しくファンタジックだ。
 
 民衆本では、モーロルトの件でコーンウォールと交易を断ったアイルランドが食料難に陥ったのでタントリスは物資調達をするといってアイルランド王から船を借りアイルランドを脱出する。
 そしてイングランドで買い集めた物資を船に乗せて、自分は乗らずにアイルランドに送り返す。
 ゴットフリートでは、タントリスの故郷はスペインでブリタニアに行こうとしていると偽っているので、まずは「イングランドに向けて旅立」ったのかと思う。
 合理的だ。


航海④=求婚の旅
 コーンウォール⇒アイルランド(ウェクスフォード)
 目的がはっきりとしている。「御心」という感触が消える
 トリスタンの伯父マルク王の王妃にするためアイルランドの姫イズーをもらい受けに行く
 ゴットフリートでは騎士20人、給料で雇う者60人、無給の顧問官(貴族)20人、食料、必需品(正装、武器、贈り物など)を積んだ、とある。
 ここで、トリスタンを派遣するにあたってマルク王が、航海は苦難が多すぎる、トリスタンが破滅する、顧問官たちだけで行ってくれ、と渋っているほど、やはり航海は危険なものだったと
 推測できる

航海⑤=媚薬
 アイルランド⇒コーンウォール
 運命の旅となる。竜退治、竜の毒による負傷と解毒、トリスタンの素性の追求(イズー姫にとっては伯父の仇)、仲直り、求婚、を経て、姫を連れて帰還途中の船上で、ふたりは例の媚薬を
 飲み、物語は展開して本筋の恋愛譚に突入する。
 2艘の船を仕立てての華麗な船出だ。船出の歌が2度、3度とうたわれる描写があり、婦人たち専用の船室が用意された華やかな、婚礼への船出だ。
 対照的にイズー姫の心は浮かない。竜退治の勇者トリスタンは一度自分をもらい受けながら、すぐに、伯父王にまわしてしまった・・・どういうこっちゃ、なんかモノ扱いやん・・・
 というところであろう。
 しかも、慣れない船旅で「並大抵でない苦しみ」に遭う(船酔いであろう)。船を陸に近づけ休む。上陸するものもいる。折から暑い(ペンテコステのあたりだと描写されるので、初夏)、
 のどが渇くので飲み物を所望したら、たまたまそばにいた幼い侍女が例の飲み物を出してしまった。
 この場面はトリスタン物語のエピソードである「トリスタン佯狂」の2つの本、ベルン本とオックスフォード本からもひいてみる。
 ベルン本「(船出から)3日目に風がおちて、・・・皆で櫂を漕いだ・・・暑い日で喉が渇いた」
 オックスフォード本「よく晴れた暑い日でした・・・あなたは喉がお渇きになった」
 暑いということは精神を狂わせることの要因ではある。二人はその中で、恋を飲み干す。それは、宮廷社会では恥であり、不名誉であることは何度も述べてきたことである。
 航海は、ひとつには目的地に着くための行動である。しかし、トリスタンとイズーは、コーンウォールに着きたくなくなる。でも、着かねばならない。
 陸地は帰るべきところとして引き付けるが、また彼らの在り方を拒否する場所(社会)になってしまった。
 海は、陸地の規範が適用されないですむかもしれない、「わずかな自由」、「異界」となる。再び、海はケルトの姿を現す。
 そして後にモロワの森や愛の洞窟が現れたときに、私はこの航海と海を連想する。

航海⑥=別離
 コーンウォール⇒ノルマンディあるいはブルターニュ
 マルク王の宮廷での逢引きや、逃避行の物語の果てに、ふたりの「不倫」が決定的に取り押さえられ、トリスタンはコーンウォールを追放され、流離・逃亡の旅に出る。
 ここからの物語は語り手によっての変化が著しい
 石川敬三訳のゴットフリート本の後書きでは、韻文で残されている物語に、トリスタンがアーサー王の宮廷に身を寄せていく物語が記されている。それによれば、トリスタンは逃避行中に
 一度はガーウェインといっしょになってイズーに会いにいく!
 その後、ブルターニュのオエル公のもとに行き、子息のカエルダンとその妹「白い手のイズー」に出会う。そしてブルターニュからなんと4回も英仏海峡を渡って逢引きに行くのだ!
 
 ゴットフリートでは、追放されたトリスタンはすぐ大陸ヨーロッパにわたり、シャンパーニュ、ドイツから、故郷パルメニーエに帰り、ノルマンディ西部アルンデールでカエルダン兄妹に出会う
 そこからイズーに会いに行くようなことはない
 面白いのは韻文トリスタンにおいて、トリスタンが行き来するごとに、恋人の誤解、怒り、意地の張り合い、後悔、和解という、「あるある」話が描かれ、海がふたりの隔たりとなりながら、体は引き離されても
 心は一つという確信への「糊」になっているように思えることだ。
 ゴットフリートはその手の若干下世話なモチーフには手を染めない。長い隔たりの間に信頼と懐疑を繰り返し、独白という表現によって苦悩が純化されていく。

後悔⑦=愛の死
 コーンウォール⇒ノルマンディあるいはブルターニュ
 イズーの最後の航海
 本によっていくつかの経緯があるが、トリスタンは決闘に巻き込まれて、相手側の騎士によってまたもや毒の塗られた武器で傷つけられ、瀕死の状態に陥る。そして恋人イズーによる治療だけが
 自分を救えるとわかり、カエルダンあるいは従者にコーンウォールのイズーを連れてきてほしいと頼む。
 イズーはトリスタン危篤の知らせにとるものもとりあえずトリスタンのもとに赴く
 ゴットフリートでは、この航海は難航し尽くす。
 ドーバーを渡ってノルマンディーの海岸線を南下するも、南風によって押し戻され5日間陸から離れる。かつて陸(宮廷社会とその規範)に着くことから逃げたかった彼女が、陸から拒まれるかの
 ように。
 やがて許されたかのような穏やかな天気が戻り、ブルターニュに近づくと今度は凪いで蒸し暑く、船は動かない。まるであの媚薬の日を思わせる。
 ペディエはイズーが夢で死を悟ると描写する。
 沖で動かぬ船の帆を遠く見つけた白い手のイズーが(今はトリスタンの妻であるが)トリスタンに船の帰還を報告すると、トリスタンはその船の帆は黒か白か訊ねる。あらかじめ、船がイズーを連れて
 連れているときは白、そうでなければ黒の帆を上げるように約束していたのだ。
 白い手のイズーは、夫の心がコーンウォールのイズー妃にあることに恨みをもち、帆は黒いと言う、(本当は白いのに)
 すべての希望を断たれたトリスタンはそこでこと切れる。
 すると、海に風が吹き始め、船は着岸するのだ。
 海が媚薬だったのかもしれない・・ふとそういう思いが浮かんだ
 決して逃れられない、そこで愛し、死んで、魂は運び去られる。ケルトの異界に還っていくかのようだ
 他の本では、二人は棺に納められ、マルク王や白い手のイズーによって理解され、「不倫」も媚薬のせいと許され、当時の社会や人が受け入れやすく理解しやすい落としどころで「終わる」
 が、ゴットフリートではそんな描写はない。
航海をモチーフにした物語は古代からある。よく知られたところではギリシャ神話のアルゴー号物語や、オデュッセイア。英雄がこんなんを乗り越えてステージを上げていく「貴種流離譚」というカテゴリーである。
オデュッセイアは海が(ポセイドーンが)「進ませない」「苦しめる」「陸に上がらせない、長くとどまらせない」という動きを見せ運命をつかさどる。しかし、トリスタンの海と航海はそれとは異なると見えた
トリスタンと航海を調べているときにネットで面白い論文をみつけた。物語から船舶の種類を割り出したり、櫓で漕ぐという表現にトリスタンの心情を読み取ったり、とても参考になった。
 
三木賀雄神戸大学商船学部教授によるい以下の論文である
 ★12世紀のブルターニュ物語における船について
 ★トリスタンの航海
 ★ゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの『トリスタンとイゾルデ』における航海について
ひとつそこから印象に残ったことを記す
 ブリトン人は海を生活の場としながら、転生を待つ死者が暮らす異界との接点、生命還元の円環を形成する源ととらえる。
 だから、現実の陸地への目的があるときは、是が非でも渡り切らねばならないと思うのだ。
トリスタン物語では、そういうケルトの海に、「御心」の現れ(キリスト教の思想)も盛り込まれてくる。それについても教授の論文では、
 本来、異界であり、神の手が加えられていない未完の領域、カオスと考えられていたところが、神の裁きの場に変えられるのは、「人の手」が侵し始めたことの証ではないか、と論じられている。
大航海時代へと進む予感をもって終わる


朗読
 トリスタンとイゾルデ、ゴットフリート・フォン・シュトラースブルグ、石川敬三訳 郁文堂 より
  40ページ下段 2351~2400行
  41ページ下段 
  42ページ上段 2452~2481行
  142ページ 8253~8544行
  194ページ 下段
  311ページ 18405~18442行
  313ページ 18518~18533行
  341ページ 下段~ 342ページ上段

演奏曲 
  Oh Maria maris stella ウェルガス写本より
  南風 アイルランド曲
  Cantigas de amigo Ⅱ Martin Codax
  優しい態度を見せておくれ セファルディム
  Mariza Palos  スオラ写本より

小さなお菓子 ビスコッティ (航海の食料)

【 2017/10/08 22:46 】

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7月16日の小さなサロン 東京出張編!

小さなサロン in 東京 の報告です。


2017年7月16日日曜日18時より、中世の暮らしpj anonymousさんのお世話で、高円寺のカフェ「ぽれやぁれ」にて、開催しました。


内容は、京都で6月に発表をした「トリスタンとイズー
恋の媚薬と中世の魔法、薬の切れ目は恋の切れ目?」に準じさらに考察を加えました


東京でのサロンは初めてなので、まず、トリスタンとイズーの物語について、あらすじをお話しし、いくつかの伝承と系統(流布本系と騎士道本系)があり、それぞれに少しずつエピソードの時系列が入れ替わったり、エピソードの解釈に違いがあるということを説明しました

それから、中世の宮廷愛 l'amour courtois, 精美の愛fin'amorについて、お話しし、騎士が身分の高い貴婦人に奉仕する愛と自由恋愛は全く異質のもので、自由恋愛は恥とされさらなる体の結びつきはNGであること、その中でトリスタンたちの行為は新しい「愛」の在り方を提示し、ゆえに西洋恋愛文学の出発ともなったことを述べました

以上の基礎的な情報を踏まえ、媚薬に有効期限がある本とない本が存在することを提示することから、本題に入ります


朗読①ゴットフリートの本から11654~11706行。
二人が媚薬を飲む場面


朗読②同じ本より11800~11860行あたり。
恋に落ちたイゾルデ(イズー)の状態


朗読③同11980あたり~12028行
互いの心を探り、伝え合おうとする

告白しあっただけでは二人の悩みは解決せず、食事もできなくなり、衰弱著しい。見かねた侍女ブランゲーネ(ブランジャン)が「何なりと好きなことをなさいまし」と言うと、その晩トリスタンはイズーの寝室に入るのです


朗読④同12157~12180行

セックスの行われたことが描写される文章が中世文学に姿を現したのです。

それはまだはばかられることだったので、ゴットフリートは「恋についての長話は宮廷的教養のある人々の心にはわずらわしく思える」と続ける。

しかし、物語はもう止まらない。
この後ふたりの逢引き、奸臣による密告などの展開の挙句、駆け落ち同様の逃亡劇を経て、物語は大きく2つのパターンに分かれる

一つはより伝説的で叙事的な流布本系の展開で、媚薬の効き目が3年ないし4年で切れる


朗読⑤ベルールの「トリスタン物語」2133~2220行
 この朗読は、私の演劇科時代の友人二人に読んでもらった。そ
 れぞれ役者・声優で活躍してきた心強い友人だ


聖ヨハネの日の翌日に効き目が切れた二人は宮廷人としての役目、受けるべき栄耀栄華を思い出す。互いに相手をそこに返すことを願うように、こころが変化する。
媚薬の有効期限ってどういうこと?愛は永遠じゃないの?
媚薬って何なの?

そもそも媚薬はイズーの母であるアイルランド王妃イズーが娘の結婚にあたり、見も知らぬ外国の王に嫁ぐ娘の初夜の不安を和らげ成功させるために調合した。
肉体の結びつきがうまくいけばその結婚は幸せなのだ。子供がさずかれば、もう女性としては立派に義務を果たすことになる。

3年ないし4年の有効期限はリアルなものかもしれない。
それぐらい仲良くできれば夫婦として安定するだろう。そこからは恋なんてしていなくてもいい、薬にたよることもなかろう、ということだろう

そうして二人は宮廷に帰る手続きを整え始めるのだ。
しかも彼らに罪意識はないかのごとき文章が続く。宮廷にもどろうという彼らには罪がないということにしたい、とすれば、すべては媚薬のせいにしておけばいい。

ここでは媚薬はふたりの心から肉体までを動かす力を持ち、二人は「動かされる」
媚薬は不可抗力。

一方、薬効に期限がないのは、トマ、ゴットフリートによる騎士道本系のストーリー。より芸術的、思索的である。

こちらでも逃亡して愛の生活を送った後、宮廷に帰るが、それは王の心が解けて召喚されるからで、ふたりにとっての宮廷はつらい場所でしかない。

媚薬はふたりを動かす外的な力ではなく、恋そのものとなって、それを自覚的に受け入れ、ふたりはそれに誠実であろうとする。もはや薬の「せい」ではない。「自ら」愛を選び取っていく
朗読⑥ゴットフリートの本から12496あたり~12502行

流布本系では、薬効が切れたときに宮廷生活の秩序に帰るべきが正しいとしたが、恋がさめたということではなく、その後も逢引きが続き、やはり結末は死によってつけられる。

しかし、その死の受け入れ方も2つの系統で意味が異なるように思う。
(これは、11月に予定している「愛の死」で扱おうと思う)

さて、ここから後半は媚薬を現実のモノととらえ、また、物語に出てくるいくつかの毒と治療薬について話します。


トリスタンとイズーが飲んだ媚薬、これは王妃イズーの特製ですが、中世に、結婚初夜の緊張を和らげる
 飲み物はありました。ワインベースで、シナモンやナツメグを入れたり、レモンバームや生姜をまぜたり
 しました。シナモンは血行を良くし、レモンバームには懐妊を促す効果があると言われていました。

 王妃イズーは見知らぬ異国の顔も知らぬ王に嫁ぐ娘のために調合したのです


 朗読⑦ゴットフリートの本より11429~11444行

 媚薬だけでなく、トリスタン物語には毒や解毒薬がいくつか登場します。
 読みながら、どんな薬草が使われたか、どんな処方や治療がされたかを想像して、中世の魔法を想像してみました。


 a 巨人騎士モーロルトとの決闘
   毒の塗られた剣あるいは槍で太腿を刺され、傷口から異臭を放つ。皮膚のいろが変わる。壊疽を起こしていると
   想像できる。毒のまわりがゆるやかで死にいたるまでの時間が長い・・・・神経毒でも心臓毒でもなさそう。
   ベラドンナの毒か。

   これを治療するのは王妃イズー。いろいろな種類の草根とあらゆる草の力と医術に通じている女性だ。
   ある本では回復には40日かかっている。おそらく殺菌と血行促進が中心の治療。マンドレイク、ヤロウ、マロウ、
   アグリモニーを傷口に塗り、また、飲む。
   入浴をさせているのも理にかなっている


 b ドラゴン退治
   退治した証拠にと切り取ったドラゴンの舌を所持して、その毒気にあたって体力を奪われ気を失う。戦いでは
   ドラゴンが吹いた火による火傷を負っているがおおきな外傷はなさそう。

  
   これも王妃イズーとイズー王女によって治療をされる。ゴットフリートは「テリヤク」という薬を使ったとあるが、
   これを追及できなかった。発汗を促す経口薬のようだ。
   そういう作用があるのは、ニワトコ、エルダーフラワー、シナモン、生姜、レモンバーム、カモミール。
   ちょうど、ぽれやぁれさんのメニューにエルダーフラワーのお茶があったのはタイムリーだった!
   治療の後半にはまた入浴シーンがある


 c カエルダン、あるいは小トリスタンの恋人の夫たちとの戦い
   毒を塗った槍で脇腹を刺される。腫れあがる、どす黒い色になる、苦痛のため体力が消耗される、臭う。
   aと似たパターンか。
   これを癒してもらおうと恋人イズーを呼びにやるが、会いまみえることなく死ぬ

 このような薬草の知識や治療法に長けた女性が実際いた。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを少し紹介。

 また、ドラゴン退治のモチーフは神話、伝説に欠かせないが、ドラゴンにはいくつか形がある。一般に想像され、
 イラストにみられるのは、全身鱗でおおわれ、口が裂けて、尻尾は蛇、猛禽の足、こうもりのような爪付きの膜状翼。
 しかし、トリスタンの戦ったものに翼の印象がない、ドラゴンと思っていたが「竜」と訳されているので原語を見な
 なくては、と思う。ものによっては羽毛の生えた体と翼もあるという。
 
 ドラゴンつながりで、ドラゴン退治の聖ゲオルギウス劇がおこなわれるのは聖ヨハネの火の前夜(夏至と近いので、
  midsummer night)、この夜には不思議なことが起きる、といわれている、シェイクスピアの「夏の夜の夢」の夜も
 この夜である、というところから、京都のサロンでお話ししたこととほぼ同じ内容でシェイクスピアを紹介しました。
 (時間の関係から、テンペストの件は割愛しました。)

 また、魔女狩りのお話しも、京都と同じ内容です。

 最後に、トリスタンの名が出てくる、トルバドゥールの詩と歌を紹介しました。
  「陽の光を浴びてひばりが」 ベルナット・デ・ヴェンタドルン

 

 演奏曲
  トリスタンの嘆き 詞はハインリヒ・フォン・フェルデケ(12c)による
  
  愛が私を支配した カスティリヤのブランシュ(ルイⅧの妻)12c

  乙女の花  不詳のトルヴェール アイルランドのハープ曲に影響を受けたといわれる
 
  Sumer is icumen in(夏は来ぬ) イギリス 13c 会場みんなで歌いました!ありがとうございました!

  陽の光を浴びてひばりが  ベルナット・デ・ヴェンタドルン
    これは、既成の現代譜でなく、自分で現代譜訳を試みました

 小さなお菓子 ドラゴンクッキー、ドラゴン2匹分の翼をおみやげに!

 また、やりましょう!集まりましょう!と次をつないで〆ることができたのが、とても嬉しかったです。
 また、行きますよ!東京!今回お会いできなかったかたも、ぜひ参加してくださいね!

 
 トリスタンのあらすじから入ったので、上演時間が(報告も)長くなりましたが、最後までお聴き(また、お読み)
 くださってありがとうございました。
 
 トリスタンの本を持参されて、照らしながらお聴きくださったかた、ご自分で訳されたソロモンの魔道書を
 くださったかた、京都にライブで来られたときに仲良くなったご夫婦のミュージシャンのかた、導いて見守ってくださる
 ピアノの恩師、
 フェイスブックでつながっているかた、駆けつけてくれた演劇科の友達、農家のご実家から野菜の差し入れを持ってきてくださ  
 ったかた、次は声の参加をお願いできるかしらと思うかた、熱心にハーブのお話しを聞いてくださったかた、準備から
 手伝ってくださったかた、ご参加くださったすべての皆様、ありがとうございました。

 場所を与えてくださったカフェぽれやぁれのマスター安彦さん、東京滞在の全てをサポートしてくれた柚璃波さん、そして、
 企画をよびかけてサロンを整えてくださったSallyLunnさん、ほんとにほんとにありがとうございました。

 


【 2017/10/08 22:44 】

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6月23日の小さなサロン「恋の媚薬と中世の魔法」

トリスタンとイズー~恋の媚薬と、中世の魔法。媚薬の切れ目は恋の切れ目?~

トリスタン物語の伝承にはいくつかの本があります。
そのうちで、ベルールとアイルハルトによる本では恋の媚薬にそれぞれ、3年、4年の「有効期限」がついています。
トマ、ゴットフリートにはありません・
これは面白いと思いました。

媚薬が出てくるのは物語も半分過ぎてからです。それまではトリスタンの生い立ちと武勲についての、従来のマッチョな騎士道ものですが、ここから、ガラッと雰囲気が変わって、恋愛物語に入っていきます。

媚薬を製造するのは主人公イズーの母親でアイルランド王妃イズー(同名でややこしいですが)です。
見も知らぬ外国の会ったこともない王に嫁ぐ娘の不安や悲しみをやわらげ、初夜を「成功」させ、王から愛されるようにとの配慮でした。

実際、アイルランドの華といわれたイズーは悲しみと不機嫌を隠せません。

しかし、「誤って」媚薬を一緒に飲んでから、二人は互いを慕い、心だけでなく体も結ばれる。
ここがそれまでの宮廷愛とは違うことは5月にお話しした通りです。

さて、二人の恋の経過は、ベルールとアイルハルトの本では、モロワの森の逃避行を経た頃、聖ヨハネの祭り(夏至の頃)の翌日「有効期限」がやってくる。
二人は、自分の、そして相手の、宮廷での身分と役割と受けるべき特権を思い、そこから外れて相手を不自由でみじめな逃亡生活に誘い込んだことを後悔し反省しはじめる。「間違った道に入った。若さを悪いことに費やした。罪を断ち切る気になれたことに感謝する」という記述がみられる。

彼らは森の隠者(司祭)オグランに相談し、オグランの仲介で、マルク王の宮廷に帰っていく。

従来の宮廷愛に従った関係に戻そうとしているかのようだ。

一方、「期限」がないほうは、マルク王からの許しと召喚を受けて、神のため、自分たちの名誉のために「もと来た道を通って、栄耀栄華の生活に帰る」
こちらは宮廷生活は、見張られ、つらいもの、と表現されている。

さて、そうすると、2つの展開で、媚薬の意味にどんな違いがあるのだろう

「期限付き」の場合、
人の力が及ぶこととは別物としての運命を表し、恋は薬のせいで引き起こされ、不可抗力
薬のせいだから二人に「恥ずべき行為」としての罪意識はなく、「狂気」も媚薬の力によると説明され、二人は社会規範、道徳、宮廷の礼儀に反するものとしての非難から守られる。
媚薬は人の力を上回っていることになるのではないか

「期限なし」の場合、
媚薬が愛(と、それに伴うリスク=死)そのものとしてふたりの胸に入り込む
二人はそれを自覚的に受け入れる、するとその時、主体は恋する二人になる。社会的にはアウト(罪)だが、二人だけの関係としては純粋で誠実、という二律を抱える苦悩は免れ得ないし、免れようとは思っていない。
媚薬はもはやきっかけでしかないのではないか

という見解で前半を終わります。



後半は媚薬にちなんで、魔法の話を。

魔法とは何だろう、と考えた。

精霊を操る、天候をあやつる、ものの姿を変える、なかったものを出す、在るものを消す、変身、空を飛ぶ・・・・
超自然、幻想的、超人的力、不思議・・・・

現実には、その時代の知識、科学では説明ができないことが魔法なのではないか

スマホなんて、魔法の鏡かも。

媚薬をはじめ、薬草の使い方、看護の方法(医療・処方)も人の命、体を扱う不思議な知恵、魔法だった

イズーの母親もその知恵を持つ女性だったし、彼女の兄・巨体の騎士モーロルトはもともとの伝説では巨人だ。
すると恋するイズーももしかしたら人間ではない、アイルランド伝承に登場する妖精だったかもしれない。(彼女の描写の多くに、光り輝く、太陽のような(美しさ)、という言葉が使われるのもそのせいかも)

しかも、ゴットフリートは母イズーの能力と行為について、宮廷の皆様には長々とお話ししても何の役にもたつものではないし、耳に不快でお気持ちに逆らうような言葉は使いたくない、と詳しい言及をしない。それは、キリスト教の教えに反する行為、つまり魔法だとみなしているからではないか

現実にそういう医療的な知恵を持つ女性がいた、11世紀ドイツに生きたヒルデガルト・フォン・ビンゲン。
ハーブの効能に通じ、医食同源的な著書を書いている聖女だ
ドイツ薬草学の祖ともいわれる
自然の産物と人間のものとの関係を定め、人間、その均衡、その健康に関する知識を探求した。
現代にも色あせない知識だ

私たちはファンタジーや魔女ものの小説やアニメなどの感覚で、こういう女性はともすると魔女扱いされたのでは?と思ってしまい、魔女狩りを連想するが、ヒルデガルトは11世紀の人なのでそれはなかった

魔女狩りを中世の暗黒のシンボルのように思うのは若干間違っている。
魔女狩りが盛んだったのは15世紀末~17世紀だった。ルネッサンスの揺さぶりの中で起こった現象だ

自然科学が発展し、地動説が支持されはじめ、キリスト教会の権威に疑問が投げかけられることに教会が危機感を持つ。神に反するものは容赦なく粛清する。病気やケガを治す力は神のもの、祈りによって恵まれるもの。それを民間女性が行うのは神への信仰に反する。その力は神以外からもらったのだろう、悪魔と契約したのだろうとみなす

封建制から絶対君主制に移行し、世襲の身分制を固めるにあたり男系を定着させるために女性の能力を低いものとし社会的地位を引き下げる

そういう社会で、食料不足、階級間の格差の不満といったストレスをまぎらわし、治めるには、なんらかの事件が起きたとき、それを下層階級の女性を魔女として火あぶりにするというイベントを設けてエネルギーを発散させることが支配層には格好の手段だった

恋の魔法に話を戻そう

私はシェイクスピアの「夏の夜の夢」を連想する。
これはmidsummer night=聖ヨハネの日の前夜の物語だ。
聖ヨハネの日の翌日にトリスタンたちの媚薬は薬効が切れたことを思い出してほしい

聖ヨハネの日は6月24日夏至のあたりで、その前夜には不思議なことが起きる。

恋人たちは森に出かけ花輪を贈りあい幸福な結婚を祈る。
妖精が出没し、薬草の効き目が著しくなる。

シェイクスピアの戯曲では2組の恋人が森に入ってもつれ合う

ライサンダーとハーミアは恋しあっている。ハーミアには親が決めた婚約者ディミトリアスがいて彼もハーミアを追いかけているが、以前にはヘレナという恋人がいた。ヘレナはディミトリアスを恋している。

ハーミアは結婚を拒んでライサンダーと森に逃げ込む。それを知ったヘレナがディミトリアスの好意を得たくて、ハーミアの逃亡をディミトリアスに告げると彼はハーミアを追って森に行き、それを追ってヘレナも森に入る。

森の中でディミトリアスがヘレナを邪険に扱うのを見て、妖精王オーベロンは哀れに思い、妖精パックに、恋の花を取って来るよう命ずる。その花の汁を眠っている者の目にかけると、目覚めて最初に見たものを恋するのだ。

オーベロンはディミトリアスに花の汁をかけるよう命ずるがパックは間違ってライサンダーにもかけてしまう

そして男性二人が今度はヘレナを追いかけるのだが、ヘレナはそれを「からかい」と思って傷つき憤慨し、ハーミアはライサンダーを取られたと思って悲しみ、女性二人がののしりあう

パックはオーベロンから叱られ、皆を眠らせて、ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミトリアスを向かい合わせて花の汁をかけて、めでたし、となる。

しかし、この結末にただ一人、ヘレナがこんなセリフを言う
ディミトリアスに愛されるのはうれしいけど「拾い物の宝石のよう。自分のものであるような、自分のものでないような」

それは、「私」を認識して愛してくれるプロセスが自覚できるのでなければ納得しがたいよそよそしさを感じるという、近代的な人格の萌芽、冷静に己を知りつつある人間の登場だと思った。

媚薬はもう人を支配できない

最後にもう一つ、シェイクスピアの最後の戯曲「テンペスト」

全編魔法で彩られた空間・時間の中で行われる復讐劇だ。
最後に魔法の力を行使していた主人公プロスペローは自分を裏切っていた者を許し、娘の恋を祝福し、使い魔エアリエルを開放し、魔力を脱いでもとの公爵になる。そして、自分を故郷のミラノに帰すのは観客皆の拍手である、と口上を述べる。

魔法は日常から切り離された時空に置かれる

朗読
 ゴットフリートのトリスタンとイゾルデ 石川敬三訳 郁文堂
  11429~11479行
  11645~11706行
  11707~11740行
  7935~7961行
 ベルールのトリスタン物語 新倉俊一訳 フランス中世文学集
                        白水社
  2133~2220行
 ビンゲンのヒルデガルト レジーヌ・ベルヌー著 門脇輝夫訳
                       聖母文庫
  182ページ4行~8行
 夏の夜の夢 シェイクスピア作 福田恒存訳 新潮文庫
  第2幕第1場 36ページ15行~オーベロンの台詞
 
演奏曲
 マハラリーの花 アイルランド民謡
 Sumer is icumen in イギリス13世紀(会場皆で輪唱!)
 Item de Virginibus ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
 五尋の深みに テンペスト劇中歌 ロバート・ジョンソン

小さなお菓子
 ラビングカップ(白ワインベース、ぶどうジュースベース)
 ドラゴンクッキー
   中世の聖ヨハネの日前夜の宴で聖ゲオルギウスのドラゴン
   退治劇上演にちなんで出されたというお菓子を妄想で再現
   しました。
   三角でカロブで香りづけして、ドラゴンの翼に似せた焼き
   菓子。カロブの代わりにココアを使用。

【 2017/10/08 22:40 】

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5月26日の小さなサロン「トリスタンとイズー・恋する季節」

小さなサロン5月26日の報告です。

トリスタンとイズー・恋する季節


5月はヨーロッパの人々にとって春の訪れの季節、中世では恋の季節として、トルバドゥールの詩や、文学に現れてきます。
中世ヨーロッパの宮廷恋愛を軸に、恋愛とはどういうものであるか、近代ヨーロッパの文学や思想にそれがどのように継承されていくのか、考えてみたいと思います。


トリスタンとイズーの物語も、5月の宴がなかったら始まらなかったかもしれない。
トリスタンの両親、ブルターニュ(のパルメニエ)の美形騎士リヴァランとコーンウォールのマルク王の妹ブランシュフルールの出会いは
「いとも甘美なる5月がやってきてから終わるまでのかぐわしい4週間の間」ティンタジェル城近郊の沃野で催された祝宴であった。
このふたりなら、ふつうにつりあう身分と「美しさ」なのだが、4月にもとりあげたとおり、結婚話がしかるべき道筋で持ちあがるより先に自主的に恋愛するのは、恥ずかしいことで、現代の私達から見れば、リヴァランが求婚さえすればうまくいきそうに思うのだが、そうはいかず、ふたりはかけおち同然にリヴァランの故郷に行き、その後結婚の手続き(神の前での誓い)はしたものの、どうも社会的には納得されていなかったようで、後々ブルターニュの領主モルガーンがトリスタンを「私生児」呼ばわりする場面がある。


こうして始まる物語・トリスタンとイズーは西洋文学の恋愛もののはじまりとも言われる。


恋愛は12世紀の発明(シャルル・セニョボス)という見解がある、「発明」かどうかはまた考えたいが、恋愛という感情が、物語によって創造されたか、あるいは確認された時代、という見方には共感する。

中世ヨーロッパの宮廷文化を代表するもののひとつが、「Fin'amor 精美の愛」「L'amour courtois 宮廷風恋愛」。
恋する婦人のために騎士は奉仕し、人間力を磨く。un ars芸術・技術、une science知・学識、une virtu美徳を身につけなくてはならない。
恋は礼儀であり、教養で、それは結婚の前提条件ではない。むしろ、騎士は既婚の身分高い貴婦人に仕えるべきなのだ。

そして、貴婦人の恋愛は結婚後にするものなのだ

ロランの歌に描かれるシャルルマーニュの時代のような武力・暴力で領土を争った時代から下って、(まぁ、十字軍なんかはあったが)12世紀には権力の地図が落ち着き、男子の死亡する場面が減っただろうから、世襲争いを緩和するためにも、結婚を目的としないで(実りや成就を望まないで)忠誠の心を養う恋愛は共同体の安定に貢献したと思う。


ここで、恋愛はどのような思いであるか(あるとよいと思われたか)を描き出した文章として、マリ・ド・フランスのレーから「夜鳴き鶯」を読んだ。
それから、ゴットフリートのテキストから、「愛」とはどのようなものととらえているかを抜き出した。

愛の力は無限」「白く平らかな誠実
節操は常緑で堅固、ガラスのように清らか」「愛は水晶のように透明で清らか

トロバドゥール、トルヴェール、ミンネジンガー達は、自らも恋の心情を経験しながら詩を詠み、歌を作って恋愛を昇華させていったのだろう

また、恋の当事者の間の誠実と、社会的には不誠実(不倫)とみられることの混在に苦しむ佐奈を描いた物語を読むのは、さぞや興奮することだっただろう。


後半は、中世以前の古代の恋愛観や、ルネサンス~近代の恋愛小説、現代の「愛」の考察を表面的にだが、見てみる。

古代ギリシャや古代ローマの文学に現れる恋は、「狂った感情」である。ラテン語のfuror。

また、「indomitus 飼いならされていない」ものである。
特に女性の感情はそのようにとらえられる。
しかし、恋という感情についての見解は今の私たちと変わらないように思う。
「エロスは詩人を作る。たとえ以前は詩心のなかった者でも。エウリピデス」
「恋は涙のように目から発して胸に落ちる。プブリウス・シュルス」
「薬草でいやされる愛はない。オウィディウス」

ルネサンスになると、恋愛と人間性とのかかわりが変化してくるようだ。
それまでは、いわゆる高貴な人、美男美女、概念化された基準をもった美意識に則って、恋愛の対象が、または恋愛にふさわしい人物が選ばれる。
トルバドゥールが歌う愛は、宮廷風な振る舞いの原動力であるし、トルヴェールが詠んだのは、宮廷風資質を獲得したものが、自由と抑制の到達点として表す恋愛、ミンネジンガーは、現実にあるよりも観念的で理想的な愛を歌った、という説明をみたことがある。(出典を思い出して引っ張り出す努力をします。今は出典不明でごめんなさい)。
それがルネサンスにいたると、恋愛をする者も対象となる人物も、より個人的になって、個人特有の魅力や個人の感じ方、美意識によって心が動いていく。
シェイクスピアのソネット130番では、それまでの美の基準にはずれた女性を、賞賛してるんだかディスってるんだかわからない描写をして、「自分には彼女が最高なんだ」という。
人物がより現実的になる。

ゲーテになると、恋愛の経験は人格を向上させることになる。個人の生き様の交差、結合、離別をしながら人生が深まるのだ。
ヘルマンとドロテーア」を例にあげた。

個性的な個人としての結びつきが前面に出てくるようになって、恋愛は結婚の前提、条件として認められてくる。

とてもおおざっぱだが、E・フロムの有名な「愛するということ」まで紹介しようと思う。
中世の教養、礼儀作法、美は、身につけることで「愛される」にふさわしいものとなる要素だった。

特に女性には。
フロムは言う。「愛するということを、技術として人生の経験の中でつみかさね、習熟していくべき」

最後に、中世文学の中で、恋愛が結婚を成就させた物語を紹介したい。
オーカッサンとニコレット。身分違いという障害に挑んで、結局は身分が低いと思われたニコレットが実はお姫様だったとわかってめでたし、なのだが、
恋を貫くために、ふたりともが冒険をする。女性のニコレットも男装して吟遊詩人になりすまして遍歴をする(シェイクスピアも男装のお嬢様をよく使うが)。
明るいリズムを持った作品である。


★演奏曲目
 Kalenda maya 5月1日  Raymbaut de vaquieiras
 Ce fut en Mai それは5月 Moniot d'Arras
 Rosa das rosas Cantigas de Santa Mariaより
 恋人よ、薔薇を見に行こう P,Ronsard詩 J,Chardavoine曲

★朗読
 五月に日の長くなるころ ジャウフレ・リュデル・デ・ブライア
 五月の歌 ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ
 ソネット130 シェイクスピア
 ソネット106 シェイクスピア
 
★小さなお菓子
 カリソン トルバドゥールの活躍した南仏プロヴァンスの伝承菓子。15世紀プロヴァンス王ルネの結婚を祝って作られたという言い伝えがある。
結婚相手のジャンヌ妃が、それまでにこりともしなかったのに、カリソンを食べて微笑んだ、という。


次回は6月23日、ミッドサマーナイトのあたりなので、「恋の媚薬と中世の魔法、薬の切れ目は恋の切れ目?」というテーマで
イズー母子の作る治療薬や物語のキーとなる媚薬について中世の民間薬はハーブのお話しをしたいとおもいます。
また、媚薬には効力の期限が設定されている伝承があり、ふたりの恋は単に薬によるものか、いやいや、思いがあったのを薬によって(酔って)告白できたのだ、という
諸説を生んでいます。そこらへんをつついてみようと思います。

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【 2017/06/07 23:48 】

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